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   <title>KRISTIAN VALEN blog</title>
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   <title>最初の出会いは、『声』だった。（3）</title>
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   <published>2007-03-23T08:02:22Z</published>
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      　メロディーメーカーとしての才能はピカイチ。音楽好きの母親とともに育ち、ビリー・アイドルに憧れていたという（だから、黒いレザーのリストバンドをつけてることが多いのか？！）クリスチャン・ヴァレンにとって、ポップスとはイコール英米のトップ４０であり、その時折のメジャーなトレンドだったのかも。

　彼の身体に染み込んだポップ・センスは、ある意味ミーハー的といっていいほどキャッチーなものだ。マイナー・コードはあくまでも哀しく、引き返すことができないほど絶望的。俳優としては、かなりのテクニシャンのようだが、音楽に向かう彼の姿勢は、少年のようにフレッシュで世間擦れしていない。


      　ラジオ番組のプロデューサーとしてキャリアをスタートさせ、ＣＤデビューは長年の夢であったというエピソードも、重く心に残る。音楽は彼にとって「聖域」なのだ。痛々しいまでのイノセンスが、作品全体を覆う。

　音楽を含め、さまざまなジャンルの表現者と向き合って、ひとつ感じたことがある。彼らの才能には、共通点があるということだ。表現者にとって最も重要な才能とは「いま世界が何にたいして飢えているか」を感受するセンスなのだ。それは、時代の趨勢に振り回されるということとは別の次元の感性である。自分自身の肉体を世界全体に置き換え、もっとも鋭く感じる「渇き」をうるおす表現をなすこと――――それこそが、表現者の最も高次元の使命だと私は思う。湧き上がるパッションに身をまかせ、興奮のおもむくままに表現されたものを、否定しているのではない。が、それは『若さ』という生理現象以上のものになる可能性は低い。

　ロックがジャンルとして若さを失い、混迷にさしかかっていると言われて久しい。その混迷を超越し、鮮やかな未来へと続く道を描けるのは、深い知性をもった、反省的なパッションだ。クリスチャン・ヴァレンが、愛の挫折と愛への渇望を歌うのは、彼が今の時代に最も足りないものは「愛」だと知っているからに違いないのだ。

　彼の心と身体は、そのまま世界の体感へと通じている。彼の人生に起こった災難や不幸は、彼が「おおいなる普遍」へとつながるためのギフトだったのだろう。そのことを誰よりも自覚しているのは、クリスチャンその人であることは間違いないのだが。愛の欠乏は愛にあふれた世界を夢見、愛の悲劇を歌った歌こそが、愛を失った世界に愛の必然を気づかせる――――デリカシーの塊のような、触られただけで傷んでしまう桃の果実のような音楽が、またいちだんとセクシーで、愛しいものに感じられてきた。


CD解説　『Listen When Alone / ある男の物語』 /  小田島 久恵
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   <title>最初の出会いは、『声』だった。（2）</title>
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   <published>2007-03-23T08:01:53Z</published>
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      　俳優とは、その人物のキャラクターやオリジナリティを表現する仕事であると同時に、脚本や監督の意図といった「他者性」に身を捧げなければならない仕事だ。そこで役者は素材となり、作品のメッセージにみずからの肉体を提供する生贄となる。

　おそらく（ルックスから察するに）生粋のマゾヒストであるＭｒ．ヴァレンにとって、俳優という仕事は天職であっただろう。しかし彼は、もっと鋭く、自分自身を表現したいと切望する。痛くて、切なくて、ときには目をそむけたくなる「本当のこと」。それは、実に彼の人生の中にあるすべてのものだった。自分のありのままを正直にあらわし、共感を得ることこそがこの世に生まれた使命・・・彼の中には、おそらくそんな直観がひらめいたのではないだろうか？

　その直観は正しかった。


      　クリスチャン・ヴァレンの音楽は、これほど極私的な主題をあつかっていながら、大勢のリスナーを釘付けにする不思議な引力を放っている。極端にプライベートなものは、逆に、瞬時に多くの人々をひきつけてしまうのだ。人と人との間にある、目に見えない膜を越えて、ダイレクトに心の中心に飛び込んでくるからだ。

　メキシコの画家、フリーダ・カーロの描いた「痛い」自画像が、彼の夫、ディエゴ・リベラの描いた政治的プロパガンダ絵画より、２１世紀に残っているのがいい証拠だ。フリーダが描いたのは、夫の浮気に苦しみ、無念の妊娠中絶に苦しみ、生涯に数十回もの外科手術を行った肉体的痛みのシンボルとしての自画像だった。彼女が人生で感じたごく個人的な痛み――――それは、観る者の人生に、瞬間的に入り込んでくる。表現とコミュニケーションにおける、奇跡の瞬間だ。その奇跡を感じたくて、人は人の表現をむさぼり、心を放浪させながら求め続けるのだ。フリーダのセルフ・ポートレイトと同じように、ヴァレンの「セルフ・アルバム」も時代を超えて生き残っていくかも知れない。

　タイトルは直截的にしてポエティック。のけぞるような原題は「ＬＩＳＴＥＮ　ＷＨＥＮ　ＡＬＯＮＥ」だ。確かに、こんなアルバム他人と一緒に聴く気がしない。一人になった時間に、とっぷり孤独をかみしめながら夜の闇の中へトリップしたい作品だ。この声は、そんなマゾヒスティックな鑑賞スタイルを促しているようでもある。元々Ｍ気の強い筆者にとっては、困ったアルバムなのである。

　ノルウェーでは、発売わずか５日でゴールドを記録。現在プラチナを超えているというオバケ・アルバムだ。誰もが彼の顔と名前を知っている本国と違って、他国ではさまざまな異なった反応を呼ぶだろう。だが、彼のキャリアを知らない、ということは、この音楽を理解するのに何のハンディにもならない。このアルバムは「普遍的」でありながら、ある意味とても異端な音楽なのだ。ミュージシャンが、他のミュージシャンに聞かれることを想定しながら作った痕跡が全くない。クリスチャン・ヴァレンにとって伝えたいことはメッセージであり、エモーションであり、音楽的な虚栄や虚飾ではないのだ。彼の音楽においては、北欧ポップス、というカテゴライズまで無効になってしまうような気がする。ジャンルやナショナリティなど関係ない。とことん裸になること、ありのままの衝動を伝えること・・・シンプルさに徹したサウンドは、容易に国境を越え、コンプレックスに苦しむ人々、愛の不毛に悩む人々・・・つまりこの世の大部分の人々のハートに染み込むだろう。


CD解説　『Listen When Alone / ある男の物語』 /  小田島 久恵
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   <title>最初の出会いは、『声』だった。（1）</title>
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   <published>2007-03-23T08:01:18Z</published>
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      　この世界のどこにも居場所がないような、苛立ちを抱えた、メランコリックで湿気を帯びた声は、男性という性が、これほどまでに弱いものなのかと驚いてしまうほど、ナイーヴな「寄る辺なさ」をたたえていた。その後、声の主の姿を映像で見た。うすくなりかけた金髪（前髪が結構やばい）、フラストレーションを抱えた暗い瞳、３４歳という実年齢よりもっと老けて見える顔・・・はっきり言って、全然好みじゃない。なのに、あの声を思い出すたび、何故か気になって仕方なくなるのだ。どうしてこの人は、こんなに切ない表情で、悲しみにまみれた歌ばかり歌っているんだ？

　わたしの好奇心は、みるみるうちに募っていった。


      　歌声の主であるクリスチャン・ヴァレンがノルウェー人であり、本国ノルウェーではスーパースター級の人気を誇るＴＶ役者であるということを知ったのは、後になってからだった。

　アルバムの悲劇的な音調とは裏腹に、彼のＴＶスターとしての持ち味は、独特のコメディ・センスにあるらしい。彼のＴＶショーを収めたＤＶＤはノルウェーで過去最大のヒットを記録したというから、パフォーマーとしての才能はかなりのものなのだろう。最近ではハリウッド映画にも進出し、２００６年制作のショーン・ヤング主演の『Ｌｉｖｉｎｇ　ｔｈｅ　Ｄｒｅａｍ』にも出演。３０代半ばにして、ローカル人気にとどまらぬこの活躍は、なかなかの花道人生である。

　が！　アルバムの主人公の綴る歌を聞いていると、そんなきらびやかなスポットライトとは全く無縁のように思えてしまう。太宰治の小説ではないが、彼はいつも悔恨と罪悪感を抱え、「生まれてきてすみません」とでも言いたげなコンプレックスにまみれている。歌のテーマの多くは、個人的な愛の挫折についてだ。彼は深く愛し、守り、捧げようとする。その狂おしさは、ときにストーカー的でさえあるが、芯にあるのは真珠のように真っ白なピュアネスであるということも、充分に伝わってくる。

　だけど、彼の愛はつねにハッピーエンドには治まらない。裏切り、誤解、離別、死別・・・あまりにトラジィディックな言葉ばかりが重ねられるので、その「愛の障害」は、彼の意思を越えた運命的なものであるような気さえしてくる。俳優としてサクセスフルな人生を送っているはずの彼の実人生は、こんなにも痛く、悲しみに満ちたものだったのだ。

　クリスチャン・ヴァレンは、自分の赤裸々な私生活について歌う。が、彼のパーソナルな表現を吟味していくと、むしろ、この人が表現者として、とてつもなく客観的な人間であることが次第にはっきりしてくるのだ。彼の身におこったこと・・・恋人の突然の死や運命的な別離、は、確かに悲劇的だ。普通の人間なら、立ち直るのに多くの年数を要するか、最悪の場合は精神を壊してしまうかも知れない。

　しかし、クリスチャン・ヴァレンという男は、とことん悲しみ、身を切られるような煉獄の痛みを味わった後に、エンターテイナーとしての自分の役割を思い出す。彼は、自分の人生に降ってきたことを、表現として再構成し、多くの人々に届ける必要を感じてしまうのだ。血みどろの恋人を車から救い出す演技がすさまじい「Ｓｔｉｌｌ　Ｈｅｒｅ」をハリウッドのクルーとともに撮影してしまう大胆さも、彼の心の中に生まれた「使命感」が求めたものだったのだ。


CD解説　『Listen When Alone / ある男の物語』 /  小田島 久恵
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   <title>人口が500万人に満たない北欧の一国：ノルウェーの一つの才能が世界へ</title>
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   <published>2007-03-23T08:00:32Z</published>
   <updated>2007-03-23T08:03:41Z</updated>
   
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      　ラジオの仕事から彼のキャリアは始まったらしい。番組のプロデューサーとして多くの音楽やカルチャーを独創的に紹介することで周りの評価を得ながら経験を重ね、自らの名前を冠にしたTVショーが出来るまでに至り、また現在は役者としても活動を広げている一風変わった彼の経緯がある。

　それは知名度が上がったから音楽をやろうとした訳でなく、元々表現者としてあった自分を違うフィールドで磨き上げつつ、多くの音楽の媒介者になっていたという事実。


      　最近はネットの普及でアーティストが個人レベルでの音源配信がなされたり、そんな新しい方法論が既得権益で硬直したミュージック・ビジネス市場をぶっ壊すかの様にそのビジネスにおける新しい時代の幕開けを論じる人も多い。一面の事実だし、逆に方法論が変わっても音楽がビジネスとして成立してしまうこと自体が間違っているという悲観論もある。

　見失っていけないところは知り得ることが能動的でも受動的な形でもそこにはいつも媒介者がいる事実がある。指先一つで音楽がパソコンのブラウザーに掲載、紹介される時だからこそ媒介者でるための哲学がより強く要求される時代になったといっていい。そんなことに苦心してきた彼だからこそ、デビュー・アルバムにしてここまで壮大でいて繊細。充実した内容とバランスが取れた内容のものを完成することが出来たと思うのだが如何だろうか？

　一見「華」に見える世界にいる人たちの中でも、「伝える」ことに真剣に取り組んでいる人が少なからずいる。それこそが真のアーティストでそれが彼であることを聴きながら感じてほしい。自分をプロデュースできる実に頼もしいアーティストだ。


CD解説　『Listen When Alone / ある男の物語』 /  福田 誠
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   <title>人口が500万人に満たない北欧の一国：ノルウェーの一つの才能が世界へ届く前に。（1）</title>
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   <published>2007-03-23T07:59:50Z</published>
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   <summary>　まずアルバムに耳を傾ける前に。 僕は元来レコード・ショップのいちスタッフである...</summary>
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      　まずアルバムに耳を傾ける前に。

僕は元来レコード・ショップのいちスタッフであるからして、音楽ライターのように文章でバランスよくこのクリスチャン・ヴァレンの魅力やバイオをお伝えできないことにご了承いただきつつ、僕がKRISTIAN VALENに出会って、感じたことを聞いていただきたい。

      　あなたがこのクリスチャン・ヴァレンを知ったきっかけは、このCDを手に取ったのは、「If I Was」や「Still Here」のビデオクリップ。ハリウッド仕込みのような映像と彼のストーリー・テラー振りに惹かれたからだろうか？それともラジオから流れる音に？またはショップの試聴機からだろうか。

偶然が重なった彼の音楽との出会いは、あなたにかけ甲斐の無いものになるはず。なぜなら80年代、A-HAから続くポピュラー音楽を世界に輸出し続けるノルウェーにおいて近年も活躍が目覚しいROYKSOPPやSONDRE LERCHEらの流れに続く逸材がこのクリスチャン・ヴァレンであるからだ。彼の音楽がJAMES BLUNTやDANIEL POWTERに代表される、ピアノやアコースティックな楽器を使いナチュラルに自分を表現する男性シンガー・ソング・ライターの肌感覚に近いこともあり、彼もその流れで「NEXT…」と揶揄されそうだが、盛り上がっては終わる今のシーンの流れにも動じない経験に裏打ちされた実力を持つ彼。2007年は彼の才能が多くの国の人々の心を捉えて離さない年になりそうだ。強力なカリスマを持ったアーティストの出現を待つよりは一人の人生に強く共感する音楽にこうやって出会えればいいわけだから。

僕がクリスチャン・ヴァレンを紹介されたのはオフィスの会議室。資料と映像ともにすべての音源を前にして、レーベル【スーパーソニック】の制作担当者からだ。彼は今までもEphemeraやそのメンバーChristine Sandtorvのソロ・アルバムを日本に紹介し、スカンジナビア半島/北欧のポピュラー音楽を中心に見識が広く、また日本で音楽が伝わる仕組みに関しても造詣が深い。それは音楽を提供する媒介者として「華」の部分では無く、その中で一番重要な裏方の地道な労力を惜しまない人という印象。なので、僕とのやり取りにはお互いの役割の難しさを理解しつつ、妙に話がスムーズにできてしまう数少ない中の一人なのだ。「伝えたい」という熱はもちろん中心におきつつも普段は現実的な話で終わってしまいがちなのだが…。

しかし、今回においては彼の鼻息も荒く…クリスチャン・ヴァレンの場合はちょっと違ったのだ。もちろん話し合いをしながら、その場を満たしていた彼の素晴らしい音世界と硬く高音が抜けた綺麗な声に魅了されつつ、レーベルの担当者もリテイラーである僕も、お互いプライドをかけて多くのリスナーに伝えていかないと駄目でしょう!?ということで盛り上がっていたのなら話は簡単なのだけれど、僕らが音楽と同様に惹かれている何かは、彼・KRISTIANの元々の仕事にも関係があるようだ。

CD解説　『Listen When Alone / ある男の物語』 /  福田 誠
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